創業当時からのお付き合い。弊社のエバーフレッシュやドライカルなどの包材を作ってくださっている、株式会社松田紙店様をご紹介します。
松田紙店さんの始まりと、事業について
私の父と叔父が昭和30年に有限会社松田紙店を起こしました。
その後、平成9年に株式会社松田製袋と分社、株式会社松田紙店に組織変更し、平成28年に河本が社長に就任しました。
はじめの頃は紙加工業で、病院の薬袋や乾燥剤を入れる茶色い袋など作っていました。百貨店や家具屋さんの展示会のダイレクトメールなども手掛けていました。
その後、乾燥剤の袋の形態の変化に対応する中で、鮮度保持剤の包材が主力製品になっていきました。
包材開発~印刷~ラミネート~スリットまで一貫して自社で製造しています。
乾燥剤を作りませんかとご提案くださったんですよね
鳥越会長より、昭和38年頃、松田紙店さんが大分や熊本の海苔屋さんに乾燥剤用の袋を納品されていて、海苔屋さんが、石灰を仕入れて自社で詰めているという話を聞き、それなら石灰を製造されている丸京石灰さんに袋詰めまでしてもらったらいいんじゃないかと話を持ってきてくださったと聞いています。
海苔屋さんから乾燥剤を作ってもらえるところはないかと相談を受け、その足で丸京石灰さんに出向いたのがご縁の始まりでしたかね。
先代がその提案を受け、石灰乾燥剤(ドライカル)を作り始めたのが昭和40年。
最初は砕いた石灰をスプーンですくい紙袋に詰め、それをホッチキスで止めていました。自動包装機を導入したのは昭和45年です。
自動包装機の導入から数年は機械のレベルにあわせ、弊社は包材を作る技術、鳥繁さんは機械詰めの作業など、試行錯誤の連続でした。お客様からの意見や要望に、ひたすら向き合ったことが、今に繋がっていますね。
脱酸素剤に取り組むきっかけもいただきました
平成に入る頃、脱酸素剤について指南してくださる企業様と引き合わせてくださったのも松田紙店さんでした。
知識や技術に加え売り先まで、いろんなことを教えていただき製品化に漕ぎ着けることができました。今では弊社の主力製品です。
脱酸素剤の包材開発も大変でしたね。通気性のバランスとか撥水加工とか。
本当に。おかげさまです。
製品作りはどのようにされているのですか
製品の性質上、基本的にはお客様の要望に応えるモノづくりです。
油に強い、水に強い、吸湿スピードを早く、発熱を防ぎたい、サビを出したくない、サビを止めてほしいなど、いただいた要望に対しトライアンドエラーで製品作りを進めます。
サンプルを実際の環境でテストしていただき改良を加えていきます。
実際の環境でテストすることの大事さは身をもって知っています。予期せぬことも起こりますし。その結果を見てさらに改良を加えてくださる姿勢にいつも助けられています。
今後、新しい分野や挑戦したいことはございますか?
今は、食品系の仕事が多いのですが、シート状の乾燥剤など工業系の引き合いも増えていますので、私たちの技術や製品が工業系でももっと役に立てればと考えています。
また、素材を作っていらっしゃる企業様とより近い関係が築けたら、新しい「何か」を生み出せるような気がしています。
遠慮なく相談しあえる存在
松田紙店様は、製品作りの相談相手であり、お客様の要望に応えるためのチャレンジを一緒にしてくれるパートナーです。
要望にひたむきに努力してくださること、新しい扉を開くきっかけをくださることに感謝しています。
取材日:2022年4月19日
聞き手:鳥越繁一